ちょっと、シエスタ

さぼりグセのある元ダメアラフィフ、現ダメアラカンが日々の出来事を気ままにつぶやきます

親孝行者でないことを告白しておきたい

今年、母をがんで亡くして

そのことをブログで書かせてもらっています。

 

ありがたいことに、このブログも定期的に読んでくださる方がいらっしゃって…

 

なので、誤解を解いておきたい。

 

わたしは親孝行者では決してないし

母とわたしの親子関係も、悪くはないけれど

大の仲良し親子ではなかったことを。

 

別の人間だから

薄紅色のバラ

 

「みんな、そんなものだよ」というご意見も聞こえてきそうですが

基本的に親子といえど別の人間です。

 

決して全てを理解することは出来ないはず。

 

それは単純に、どんなに仲良し親子でも別個体なのだからという考えです。

当たり前ですよね?

 

一番厳しいご意見番

ましてや、性格がまったく違うのに毎日顔を突き合わせていようものなら

逆に仲が悪くなるかも?

 

だって親子とか兄妹って、お互いのことに対しての意見が辛辣。

 

親子だから、兄妹だから言えるよね?という言葉を

何のためらいもなく言います。

 

もちろん、家族だから言えるのですが。

 

シングル家庭だった理由

わたしと母の場合、性格が違い過ぎていたせいもありますが

あと、ひとつ

幼い頃に離れ離れだったからでは?と思っています。

 

母は結婚を反対された人と駆け落ち同然で一緒になったものの、すぐに離婚をしました。

 

典型的な若気の至りの見本

よく冗談まじりに言ってました。

 

そのあとは幼いわたしを抱えて働かねばならず、

そのせいもあってか一緒に住んでいてもほとんど顔を合わさない生活。

わたしは祖母に育てられました。

 

そして、わたしが小学2年生の時には離れて暮らすことになります。

 

母は大阪、わたしと祖母は長崎で


それぞれ暮らし始めました。

 

離れて暮らした理由

 

理由は覚えていません。

 

当時とても体が弱かったわたしが田舎で暮らす方が良かった…

と言うことなのか。

 

故郷でもあり、お墓のこともあり長崎に帰りたかった祖母一人では心配だから…

と言うことなのか。

 

当時27歳だった青春のなかった母がひとりで暮らしたかった…

と言うことなのか。

 

これまた性格が独特だった祖母と母が一緒に暮らせなくなったから…

と言うことなのか。

 

その理由を明確に聞いた事はありません。

なぜなら聞ける年には、そんな事どうでも良くなっていたからです。

 

ほどよい距離感のある関係

離れて暮らしていましたが定期的に会いにきてくれましたし

電話、手紙のやり取りも頻繁でした。

別に放っておかれたわけではありません。

 

離れて暮らしたのは4年間でした。

 

ただ母は母。

わたしはわたし。


別の人間、別の人生。

たとえ一緒に住んでいても、そう割り切れる関係になったと思っています。

 

がんとわかって、この2年間

一緒に旅行に出かけたりもしましたが

わたしはわたしで自分の好きな旅にも出かけました。

 

少し薄情な子だったかもしれません。

でも、ずっとそのようにしてきたので変えられませんでした。


お世話になった看護士さんとの最後の挨拶の時に

母から”自家製特製のポン酢”の作り方を教わったと言っていました。

 

遠い昔に聞いたことある気がしますが

わたしはそのレシピを覚えていません。

 

今日もおいでいただき、ありがとうございました。 

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