朝から雨が降っています、思ったより雨足が強い・・・
って書いてたら、止んだ(苦笑)
介護に疲れた人たち
先週の高熱以上の猛暑を思うと、まさに恵みの雨です。
でも雨のせいなのか、休日で気が緩んでいるせいなのか
気持ちが少し沈んでいます。
たぶん立て続けに聞いた、介護にまつわる話のせいです。
前に東京と大阪で同じ部署だった女子
時々、早く退勤するのを見かけて、何の用事だろうと思っていたら
認知症のお母様の介護サポートだと昨日知りました。
ただ、あくまでサポートで(本人談)普段は同居のお姉さんが介護をしているそう。
そのサポートに時々行ってるだけだけど
時々お姉さんとぶつかる、そうこぼしていました。
そして職場周りで介護を理由に仕事を辞める人もいて
「え?あの人が」
通勤に往復3時間以上かかるから
通勤時間がとられない所への転職だそうですが。
思い出さないと思い出せない

母がガンを患って75歳で亡くなりました。
ガンがステージ4で見つかって、入退院を二度のあと抗がん剤治療
でも本人の希望で治療を中止、最後は緩和ケアに入ってって2年間
たぶん大変だったと思うけど、あまり思い出さないようにしていたから
記憶が薄れていってます。
一部はブログにしてるので読み返せばいいけど、読み返さないし
また同時に思い出すのは、自分がアラサーの頃に亡くなった祖母のこと。
アラサーという表現も一体いくつだったか明確に思い出せないからです
わたしもシングル家庭で育ち、母はずっと働いてたので
祖母は完全な母親代わり。
でも性格が独特な人で、猜疑心が強いというか・・・
あ、わたしが猜疑心が強いのは、祖母譲りか!(今更気づく)
そして亡くなる前の数年間は、今でいう認知症になっていたのだと思います。
祖母には振り回されました
当時から認知症って言葉はあったのだろうか。
ある日、突然「誰かがおじいちゃん(祖母の旦那さん)の骨壺を動かした!」
そう言い出したのです。
われわれは大阪に住んでいて、お墓は長崎
墓守は遠縁で近所に住む親戚のおばさんに頼んでいました。
墓もでっかく扉は重くて、おばさんでも開けられない。
つまり・・・祖母の透視(いや妄想)です。
それを毎日毎日言い続け、毎日毎日聞かされ続けて
母がギブアップ。
お店をしていた母の代わりに、わたしが連き添って
祖母を大阪からはるばる長崎まで連れて行き
親戚のおじさん(左官をしていた方)を呼び出し
お墓を開けてもらい、骨壷の位置を変えてもらうという。。。
何だろう、この珍事。
ついでに言うなら、骨壺の置いてあったコンクリートには
骨壺の置いていた跡がはっきり残ってて、誰かが動かしたなんて絶対にありえない。
これほどまでに「一目瞭然」にピッタリな出来事はない。
本人はたいへん満足していたから良しとせねば
思い出さないようにしてたら、すっかり忘れていました(苦笑)
いま自分が自由なのは、そこそこ大変なことをやってきたからではないか?
人生ってプラスマイナスゼロなのでは?
そう自分勝手な自分の都合の良い結論にたどり着く。
今度は雨が強く降ってきました。
降ったり、止んだり、晴れたり、曇ったり
みんな一緒なのかもしれない。
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