ちょっと、シエスタ

さぼりグセのある元ダメアラフィフ、現ダメアラカンが日々の出来事を気ままにつぶやきます

心が泣いていた人

頬に涙は伝ってはいないのですが

全身で泣いていた人を見た映像が

今でもくっきり残っています。

 

深夜の病院の出口で、その人は立ちつくして

こちらを見送ってくれました。

 

それはこの9月に亡くなった

母の主治医の先生です。

 

死を看取る人

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病院で人が亡くなるとお医者さまがいらっしゃって死亡の確認をされます。

死亡診断書を書かねばならないからです。

 

死亡診断書がないと、葬儀の手続きを進めることができません。

 

なので病院で息を引き取ると何の問題ないのですが、自宅だと警察を呼ぶことになる場合もあります。

 

母の時は病院で最期を迎えたので、もちろんお医者さまがいらっしゃいました。

 

現れたお医者さまを見ておどろきました。

最初に母のがんを見つけてくれ、執刀してくれた主治医の先生だったからです。

 

偶然の宿直当番

病院のがんのスペシャリストであろう、歳は30代後半から40くらいの先生です。

 

「月に3度ほどしか、当直に入らないから巡り合わせを感じて…」と、おっしゃっていました。

 

母は末期がん宣告から2年が経ち、いよいよとなって3ヶ月前に先生から緩和ケアを紹介されたのでした。

 

その時に「もう先生には会えないのですか?」と言って母が泣いたと話してくれました。

初めて聞きました。

 

母にはそんなところがあります。

友だちはまったく作らないのですが、その時々で出会う人に想い入れます。

 

そんな母とわたしの間で先生は

表情をまったく変えない、感情をまったく表に出さない

ビジネスライクに仕事をする人

 

そう、よく話していました。決して悪い意味でなく、です。

 

全身で泣いてくれていた

先生は「また一時間後に来ます」と言って去っていきました。

 

あとで分かったのですが死亡診断は亡くなって1時間経ってから、診るそうなのです。

ここの病院だけ?ふつう?


当直の夜、亡くなった人の名前を聞いて駆けつけてくれたらしいのです。

 

その後、死亡確認が終わったあと葬儀屋さんとすべての打ち合わせが済んで

病院を出ることになったのは、もう明け方の4時過ぎでした。

 

看護師さんの案内で普段乗ることのないエレベーターから、

棺を乗せて一階に降りました。

 

そこには先生が待っていました。

 

これも、あとでご挨拶に伺った時に看護士さんから聞いたのですが

見送りたいから、必ず出棺のときに呼んでほしいとおっしゃったそうです。

 

病院のドアを出て駐車場に向かいました。

 

振り返ると、出口の明かりに照らされて

先生は全身で泣いてくれていました。

そう見えました。

 

小さく会釈して、病院を後にしました。

 

 今日もおいでいただいて、ありがとうございました。

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