がんで亡くなった母が生きていれば、今年80歳。
ふと彼女がアラカンの時にしていた仕事のことを思い出しました。
総合病院の食堂の仕事
隣の駅にある大きな総合病院の職員さん向け食堂の仕事
母は数年ほどしていました。
朝10時出勤、昼2時ごろまでの1日4時間
献立を考えるのは栄養士さんで、母の仕事はおもに下ごしらえ
調理師の免許がなくてもできる仕事だったと記憶しています。
応募の理由は
- 職場が近いから
- 料理が好きだったから
そんな理由だったかと。
けっこう重労働だったそうで、百人分?の下ごしらえで
ひたすら特定の野菜や肉を切ったり、下味をつけたり。
また調理場での姿勢は腰にくるとも言ってたし
冬場はめちゃくちゃ寒い、と言っていた、ような・・・(遠い記憶)
そのあたりおぼろげなのは、そういった仕事の中身より
母が口にしていたのは完全な女の職場と言う事です。
女だけの職場の独特の空気
何人でまわしていた仕事かまでは覚えていないけど
常時、在籍していたのは5、6人くらいだったか。
女だけ、しかも若くてもアラフォーがいたっけか?という職場
何ならこの道一筋ウン十年のアラカンの方がいて
ずっとやって来た人には、長年の独特のルールもあって
シニア女子の職場
話を聞いてわたしの中で残っているイメージは、これです。
年功序列とかではなく経験がものをいう世界
何かヒエラルキーのようなものもあって、独特の空気があったそうで
雰囲気あわないと辞めちゃう人もいたと記憶してます。
まぁ彼女曰く、1日4時間なので何とかなったそうです。
人嫌いの母が、この仕事場で名前をあげて話したのは、ひとり。
年金もあって、大きな持ち家もあって
車で旦那さんが仕事の送り迎えしている、とあるご婦人です。
仕事が大好きというわけでもないらしく
「なんで働いているんだろう」
ずっと気になって口にしていてので覚えています
人には、それぞれ働く事情があるのでしょう。
がんで亡くなってから母の亡くなる前のエピソード
思い出すのを避けていたのですが
「そろそろ回顧してみるか」
そう思って書いてみました。
でも、そもそも料理が嫌いな自分には
参考にならなかった話でした(苦笑)
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