ブログにおいでいただきありがとうございます。
今日は長崎原爆の日
75年の節目だそうです。
もうそんなに時が流れたのかと思います。
8月9日11時2分に毎年、長崎の街は黙とうをささげます。
黙とうのない8月9日に戸惑う
8月6日広島原爆の日の朝、ニュースで取り上げていた特集で
広島出身の若い女性が、東京に来たら誰も8月6日に黙とうをしないことに驚いたとありました。
かつて自分も同じことを思ったことがありました。
広島では8月6日8時15分
長崎では8月9日11時2分
サイレンが鳴り渡って誰もが立ち止まって
いや、街中が止まって1分間の黙とうを捧げます。
小学6年で大阪に戻ってきて、そこからはテレビの中で
平和式典の映像を見たことは何度も何度もあったけど
8月9日に黙とうを捧げることはなかった。
いや、そもそも自分だって6日にはどうしていたっけ?
住んでもいない街でおこったことは
どこか遠いことなのです。
遠い日の8月9日11時2分
小学生のころよく遊んでいた原爆で半分なくなった山王神社の「片足鳥居」
小学生の時に長崎にいたのですが、8月9日は毎年夏の登校日。
11時2分には全校生徒が体育館に集まって
黙とうを捧げた記憶が鮮明に残っています。
1分の間は電車も車も止まり、歩いている人も立ち止まって
音が大きくてサイレンしか聞こえないのですが
あきらかにそれ以外は静かで…
時が止まったような空気が印象深かったからかもしれません。
たった1分なので日本中で黙とうを捧げても良いのでは?と思います。
そうでないと、どこか遠い絵空事に感じます。
伝わるのは空気なのかも
なんて思っていたら東京の一部自治体、東村山市や調布市、三鷹市などで
8月6日、9日、とプラスして15日に黙とうの呼びかけをしているところもあるそうです。
でもこんなことを書いている自分だって
今年は家にいる夏だから思いをはせることが出来たのです
昨年の同じ時期は旅の途中でした(笑)
お気楽だったんですね…
今年は黙とうしました。
式典の平和宣言で原爆がどんなに悲惨なものだと伝えても
コロナウィルスと同じで自分の周りでおきないとその脅威を感じられない、と。
確かにそう思います。
あの夏の黙とうを体験したから感じられることがあるのかも。
わたしが長崎に住んでいたのはたった4年間。
人生の14分の1ほどなのに
記憶は鮮やかです。
今日もブログにおいでいただきありがとうございました
ブログ更新の励みになっています♪
⇓