ちょっと、シエスタ

さぼりグセのある元ダメアラフィフ、現ダメアラカンが日々の出来事を気ままにつぶやきます

27年前の冬の記憶・阪神淡路大震災のこと

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

ほかのネタを書いていましたが朝テレビをつけると

阪神淡路大震災から27年も経ったというニュースを目にしました。

27年経っていた

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毎年この日は何を書いていたのだろう?

あれから27年も経過していたんだ…

 

あらためて、そう感じました。

 

昨年、28年住んだ二世帯ボロ家を売却して引っ越しをしました。

www.chotto-siesta.com

 

最近、年数を意識したばかりだから

そう感じたのだと思います。

 

そういえば、当時は真新しかった家の3階で寝ている時

震災が起こったと思い出しました。

 

住んでいたのは大阪府堺市でしたが

震度4ほど揺れました。

 

すぐにテレビをつけ神戸が震源の地震であることを知りました。

 

連絡が取れないもどかしさ

27年前、結婚はしていましたが子どもがいない時期で

月に何度かフリーランスで神戸に仕事に行っていました。

 

すぐ仕事先に電話しました。

 

「すごく揺れたけど、大丈夫」

そんなことを話した気がします。

 

朝の5時47分、ニュースを見て母がもう一度寝たのも覚えています。

 

その時は、普通の地震だと思っていたのです

神戸以外は。

 

阪神淡路大震災といえば、これ、というくらいニュースで流れる

阪神高速が横倒しになった映像

あれを見た瞬間に、ただ事ではなかったと誰もが思ったのです。

 

もう一度、神戸に電話をしましたがつながりません。

再び連絡が取れたのは数日後でした。

 

連絡が途切れた友人

そして2ヶ月ほど経ったころ

地震で途切れ途切れになった電車を何種類か乗り継いで

神戸の仕事場まで通いました。

 

それもどんどん復旧していきました。

 

神戸の実家が倒壊し、ご両親を亡くされた友人がいました。

2階で寝ていた妹さんだけは助かったのですが、妹さんは精神的に参ってしまい

その看病のため他県から神戸に定期的に帰っているとハガキにありました。

 

震災は27年前だけの出来事ではなく

数年後…いまでも向き合っている人もいるはず。

 

彼女とは年賀状のみのやり取りになっていましたが

いつからかハガキも来なくなりました。

 

神戸市中央区の公園には忘れないの「忘」の文字が。

 

次々と起こるいろんな出来事

でも忘れてはいけないものは忘れない。

 

昨日からのつなみ関連のニュース。

連絡の取れないトンガが大きな災害になっていないのを祈るばかりです。

 

今日もブログにおいでいただきありがとうございました。

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