ちょっと、シエスタ

さぼりグセのあるダメアラフィフが日々の出来事を気ままにつぶやきます

おだやかに微笑んでいた人

記憶はどうもヒモづいていて、引き出しの中にしまわれているようです。

以前、こんな事も書いていました。

ao-maguro.com


なので昨日の長崎のおばのエピソードを記事にしたら…

すっかり忘れていた人のことを思い出しました。  

向きあいかたをためらう案件

先日、相模原殺傷事件裁判のニュースがありました。

この凄惨な事件のニュースは…

できればあまり見たくない。

 

それは事件自体が凄惨だということが、もちろんあるのですが

障害者との向きあい方には自分自身も本音を言うと

「戸惑う」

というのも事実だからです。

 

裁判のニュース時に障害を持つ息子さんがいる父親の特集がありました。


待望の息子に障害があり、どう向きあっていいのかわからなかったが

事件をきっかけに考え方を変えたというものでした。

 

するとそれまで父親を避けていた息子が、父になつきはじめたそうです。

 

それからは2人で出かけることも多くなり、障害も彼の個性だと思えるようになったと言うものでした。

心は通じるようなのです。

 
そういえば…と思い出しました。

 

ジュウシマツがいた部屋

十姉妹

 

おばの家には障害のある兄がいました。

正確にいうとおばさんは嫁いできたので、旦那さんのお兄さんです。


名前は…確かマサトシさんだったと思います。

幼い頃に高熱を出し障害が残ってしまったと祖母から聞いたことがあります。

 

当時はおばからみてお姑さんがマサトシさんの世話をしていました。

マサトシさんとお母さんの広い部屋があり、そこには沢山のジュウシマツが飼われていました。

 

動物好きで特に鳥が大好きだったわたしは

おばの家に行くとマサトシさんの部屋に行くのがとても楽しみでした。

 

ジュウシマツをずっと眺めるていると彼は横で作業を始めます。


チラシを細長く三角に切ったものを竹ひごにくるくる巻きつけて、のり付けして竹ひご抜く。

すると細長いビーズのようなパーツができて、それに糸を通してきれいな暖簾を作っていました。


ずっとその作業を仕事のように続けていました。

 

言葉は交わさなくても気持ちは通じた 

 

お墓参りは月に一度必ず通っていたので、長崎にいた4年間はおばの家に行くと

マサトシさんの部屋に行き

ジュウシマツを眺め

そしてその作業もずっと眺めていました。

 

遠すぎる記憶なのですが、それ以外にもギターか何かをひいてくれた(音楽ではなく)記憶がかすかにあります。

 

ジュウシマツを見せてくれ

細やかな作業を黙々として

おだやかに微笑む人。

 

大好きとか特別な存在ではないけど、普通に好きな人でした。

 

おばの家にわたしがおじゃますると歓迎してくれているのが

その表情からわかりました。

 

あの時のわたしは、なんの戸惑いもなかった…

 

今思い返しても彼は本当におだやかな人で、いつも微笑んでいました。

ただ言葉を交わした事は一度もありません。

 

そんなことをふと思い出しました。 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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